塾長のご挨拶

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片山 豊一(かたやま とよかず)

 

ニューヨーク市立ラガーディアコミュニティーカレッジ卒業(経営学)

貿易会社を経営し12年目、取引相手国 18ヵ国、渡航した国 17カ国

資格等:TOEIC915点、二級ファイナンシャルプランニング技能士、

    ビジネス文書検定2級、貿易実務検定準A級、第三級アマチュア無線技士

 

-ちょっと変わった経歴 (長いです)-

 

高校は陸上部に所属、部活に明け暮れ大学受験に失敗。

同期には現役で横浜国大に合格する強者もいましたが、殆どは浪人して早稲田、明治、中央、学習院などに進学しました。

私はといえば社会に出た際の学歴の重要性を分かっていなかった為、浪人する気にはなれず近所のファミリーレストランで働きはじめました。

ある日バイク雑誌のツーリング旅行記を読み、これだ!とバイクを買う為に日産の自動車工場に期間工として就職。

半年の契約を10か月に伸ばし丁度お金が貯まったころ、父から"仕事でアメリカへリサーチに行くので、一緒についてこないか?”と誘われニューヨークへ行くことに。

2週間の滞在予定が終わるころ”ビザがなくても3カ月居られるのだから私は帰るがお前は残って英語学校に入って勉強してはどうか?”と父に提案され、それも面白そうだと残留。

3カ月で帰国する予定が、現地での生活が楽しくなり正式に留学ビザを取り留学生活がスタート、

前半は語学学校と大学生として、後半はアルバイトと惰性で気ままな生活を続け気が付けば9年が経ちました。

このままではまともな職に付けなくなると29歳で帰国し、派遣社員として電話オペレーターや電子部品工場で数年働きましたが、決してやりたい仕事ではありませんでした。

やはり世界を相手に商売がしたい、貿易がやりたいと34歳で初めて正社員として中小企業の貿易部員として就職しました。

 

-閑話休題-

因みに私が採用された決め手はTOEICの点数だったそうです。

今は当時と比べ翻訳技術が発達したとはいえ、直接英語が聴ける、やり取りできるということは大きな武器になるとともに人生を豊かにしてくれます。

日本では流れない海外のニュース、素晴らしい業績を残した音楽家、経営者、学者等の話を直接理解できるなどメリットは計り知れません。

言葉にはその背景にその言語を話す人々の文化や考え方があり、英語には英語独特の言い回しや美しい表現があります。

学校教育では英語の理解度を計る為にどうしても日本語に訳すということに重きがおかれますが、英語を日本語に訳す行為と英語が分かる事(英語を英語のまま理解すること)

は全く別のことだと私は思っています。英語に慣れてくると英語を訳さずそのまま理解できるようになりますが、その時にそれらの事が実感できる筈です。

英語は道具ですがとびきり役に立つ道具です。是非生徒様にもその素晴らしさを知ってもらいたいと思います。

-ここまで-

 

しかし、そこからが過酷な日々のはじまりでした。

というのは私が採用された会社の貿易部門は、もともと3人いた部員が一人辞め二人辞め、

最後に残った一人が辞めるという状況だったのです。

入社して1カ月で貿易部の全ての業務を引き継がなければなりませんでした。

前任が退社してしまったら他にその部門の業務をできる人がいないのですから、分かりませんではすみません。

さすがに1カ月では全て覚えきれず前任が退社を半月伸ばしてなんとか業務を引き継ぎました。

連日の残業で疲弊しきった私を見かねて半年後漸くもう1人雇入れていただきました。

中小企業は余剰人員などおらず部門間の力関係で業務量が決まる部分があります。

海外との交渉、輸出入手続き、入出金管理に加え国内仕入先様とのやり取りと業務は多岐に渡りました。

サザエさん症候群という言葉を聞いたことがありますでしょうか? 

サザエさんが始まる日曜の夕方に月曜の出社を思い、気が重くなる症状のことです。

当時は毎日がサザエさんという状況でスピリチュアル、宗教、心理、成功哲学などの本を読み、

昼になったらジャズを聴きやっと正気を保っていました。

 

そしてある時こう思ったのです。

結局どうあがいても明日は来るのだから一喜一憂するのはやめよう、

自分の為の修業だと思って何が来ても前向きに取り組もう、業務が少しでも効率的にできるよう工夫しよう。

実際に「何が来てもなんとかなるな」という心境になるまで3年かかりました。

そこに8年間勤めた後、42歳で独立し長年の夢であった貿易で身を立てる事ができました。

 

当時私には人生を設計する上での学や知恵が不足しており三十過ぎまで自分の人生を真剣に考えることもありませんでした。

振り返ってみると子供の頃自分の周りにそのようなことを語りかけてくれる人や環境がありませんでした。

家庭環境も学校環境も決して良いものとは言えず、自分自身も怠惰に過ごしていたことも否めません。

大人になり同世代の方々が世の中で頭角を現すのを見るにつけ、もっと早いうちから勉強しておけば良かった、

自分の生き方を真剣に考えておけば良かったという思いが大きくなりました。

 

長々と書いてしまいましたが、ここで言いたいことは、サボっていたら必ず後で付けが回ってくるという事です。

若いうちから良い指導者がいて、経済的にも恵まれ、自分のやりたいことを見つけられた人は幸せです。

しかしそうではない方が大勢を占めるのではないでしょうか?

そのような事を教訓として、これからの時代を担う子供たちに学校の勉強だけでなく、その先の人生を考える気付きを与えられるような教育をしたいと思い塾を開校しました。

これまで経験してきたことを総動員してお子様の明るい未来への貢献をしたいと思っています。

どうぞよろしくお願い申し上げます。